投稿した人:谷本憲司/神戸 on June 14, 2003 at 11:14:21:
【死んだら、どうなる】
死ぬとは、どういうことか私は体験したことがないので分からない。世の人は、さまざまに言うようだ。前世や来世があるという人もいる。生まれ変わりということを考える人もいる。前世ではどうだった、と言われても、それで何がどうなるものでもないだろうに、と私は思う。
「死んだら、仕方がない」という人がいる。いっけん潔さそうだが、ご本人の内心は分かったものでない。いざ、じっさいに死に臨んで、ふだんは「死んだら、仕方ない」なんて言っていたのに、どんなことになるやら、そうそう分かったものでもなかろうよ。
そんなお人にかぎって、「死にたくない」などと大騒ぎするかもしれない。そのとき、いつもは「死んだら、仕方ない」と言っていたではないかと、ご当人を責めても、やはりどうともできないはずである。
宗教に帰依して、「天国に席がある」という葬儀に参列したことがあった。司祭の言葉は、死者への手向けのものだったが、「天国にあるとされる、いるべき場所」とはどんなところなのだろうか。
私も含めて人は何かを考えることを止めることは出来ない。「死んだら、仕方がない」というのも、一つの考えだ。しかし、同時にそれは、他の事への思いや気に紛らせての「思考停止」かもしれないではないか。人は一度にいくつものことを考えるようには出来ていないからだ。
そうは言っても、「天国に席がある」ということにもならない。その宗教に帰依していない者には無縁の世界観のはずだ。けれども世人は、「死んで天国に行った」などとも口にしている。
世の中で、分からないことや迷うことについては無理に結論を出すよりも、分からないまま、迷うままにしておく「勇気」も大事だ。疑問は疑問のままにしておく。そして思考は継続すること、それが「勇気」というもだ。思考の継続は、生きる原動力であり、そのこと自体が生きる智恵とも言えるだろう。
人は思い迷う。世に不思議なことはある。不思議なことは、不思議に思うことだ。無理に答えを出さない態度が大事だ、と私は思う。思い戸惑うことがあり、それが困ることであったとしても、やはりそのまま困ることを保っていればいい、とも私は考える。ともかく。不思議なことは不思議がり、困ったことは困っておくことだ。無理やりな答えは、えてして不自然で間違いの元になりがちだ。
また、物事によっては、思いを深くしながら、「時を待つべきのみ」という智恵もある、と私は考える。






