投稿した人:岸本秀久/青税兵庫 on January 25, 2004 at 06:46:27:
墨子、非攻篇に曰く、
今有一人。入入宴圃、窃其桃季。衆聞即非之、上為政者得則罰之。此何也。---------
非攻論は、他国への攻撃・侵略を非難する主張である。論旨を展開するにあたり、非攻篇は、そもそも犯罪とは、自己の利益獲得のために他者に損害を与える行為である、との定義を行う。そしてこの定義を適用すれば、侵略戦争もまた国家の手による犯罪に他ならぬと、攻戦を窃盗や強盗・殺人などの個人犯罪の延長線上に位置づける。とすれば侵略戦争は犯罪である点では窃盗・強盗・殺人と全く同質の行為であり、かつ他者に与える被害の程度からすれば、それらを遥かに超える最大・最悪の犯罪としなければならない。ところが世の君子たちは、個人の犯罪行為は厳しく糾弾しておきながら、国家的犯罪である攻戦に対しては、一向に非難しようとはしない。それどころか、「義戦」の美名の下に侵略を飾りたて、称賛してやまない。墨子はこうした矛盾を、鋭く衝いたのである。
「墨子」 浅野裕一著 講談社学術文庫
総理、施政方針演説に曰く、
古代中国の思想家である墨子は、「義を為すは、毀(そしり)を避け誉(ほまれ)に就くに非(あら)ず。」と述べています。すなわち、我々が世のためになることを行うのは、悪口を恐れたり、人から誉められるためではなく、人間として当然のことをなすという意味であります。
世界の平和のため、苦しんでいる人々や国々のため、困難を乗り越えて行動するのは国家として当然のことであり、そうした姿勢こそが、憲法前文にある「国際社会において名誉ある地位」を実現することにつながるのではないでしょうか。
解釈・引用・適用「誤り」論外、小泉さん、墓穴を掘る!!!






